
マーラーは、オーストリアの作曲家、指揮者で、19世紀のロマン派の特質を備えながら、20世紀の音感覚に先鞭(せんべん)をつける器楽法や自由な調性を導入して、次代に大きな影響を与えました。
10曲に及ぶ長大な交響曲は、現在も多くの波紋を投げかけています。
マーラーは1897年に、ヨーロッパ音楽界最高の地位であるウィーン国立歌劇場の総監督に就任。
その10年間に輝かしい偉業を残し、歌劇場の全盛期を築き上げました。
しかし、その多忙な生活のため、若い頃からの持病である痔が悪化し、歌劇(オペラ)の終演後に、命にかかわる大出血を起しています。
周囲の人々にしばしば誤解され、受け入れられなくても、“やがて私の時代がくる"と強気で跳ね返していたマーラーも、痔による大出血のときには、さぞ弱気になっていたことでしょう。
多忙を理由に痔の治療を遅らせることは百害あって一利なし。
早めに医師の診療を受けましょう。
参考文献 船山隆 「マーラー」新潮文庫

明治時代を代表する軍人、乃木大将が先に崩御した明治天皇の後を追い、夫人とともに自殺して果 (は)てたのは大正元年9月13日のことでした。
栄光と賞賛に包まれ、威厳と温容にみちた乃木大将ですが、左目は失明に近く、足には弾片が残り、リウマチや中耳炎など多くの病気を抱えていました。
特に壮年からは高度の脱肛に悩み、いつも白木綿(しろもめん)を肩からかけて脱肛を圧定していたそうです。
そして歴史的事件の当日にも・・・。
乃木大将の遺体の様子は詳細に残され、その記録には、“臀部(でんぶ)ニハ肛門ニ当テタル一物(いちもつ)アリ。・・・・・・蓋(けだ)シ宿痾(しゅくあ)ノ脱肛ヲ防クノ用意ナルヘシ"とあります。
乃木大将は死後の自分の肛門にも細心の注意を払い、周到な処置を行っていたのでした。
参考文献 立川昭二 「病いの人間史」新潮社

野口英世は世界的な医学者としての業績に加え、努力、忍耐、不屈の人として、戦前戦後を通 し、もっとも著名な伝記的人物の一人です。
そんな忍耐の人物にもがまんできない程つらい事がありました。
“実は小生昨年十月頃より痔をなやみ夜分も安眠を不得(えず)、月を追うて重り行く傾向有之候。(けいこうありのそうろう)"
これは、英世が28才の時、恩師にあてた手紙に書いたものです。
さらに英世は、夜眠れないため頭がはっきりせず、“万事うるさく相成申候(あいなりもうしそうろう)”と書き、一日も早く手術を受けたいとしたためています。
しかしその後の手紙にも痔の苦しさを訴えていることから、手術はせずにだましだましおさえていたようです。
参考文献 立川昭二 「病いの人間史」新潮社

ベルサイユ宮殿を中心とする、フランス・ブルボン王朝の最盛期を築いたルイ14世。国内外に大いなる威光を示したことから、太陽王とも称されていました。
そんな絶対君主であった彼を悩ませた病が痔瘻。1686年、48歳のとき、王室外科医であるフェリックスの執刀による手術を受けています。
この時期、彼はオランダなど周辺諸国の連合軍との戦争を計画しており、まずは自身の悩みを解消し、戦にのぞもうと考えていたのかも知れません。
ともあれ、手術は無事に成功し、彼はその感謝の意を表わすために、フランスにおける外科医職の復興の道を開いたということです。
その後、多くの卓出した外科医が現れ、1731年に王立外科アカデミーが創立されるまでになりました。
参考文献 世界医療史(井上清恒他 訳)内田老鶴圃
![]()